2010年12月27日月曜日
NATURE
普段自分がいかに人工のものばかり見ているのか、思い知らされました。
動物、山、植物、海。
荘厳で圧倒的な説得力を持ったその姿から、
「勇気を出して、ありのままの自分でいようね。」
そんな声が聞こえてきました。
2010年12月23日木曜日
映画「悪人」について
先日、映画「悪人」を観てきました。
地方に住む者が感じる閉塞感や孤独感や絶望感。
それらの感覚が如実に表現された作品を、私は他にみたことがありません。
そんな世界に生きる者にとっての唯一の希望は、人との関係性だけ。
そこでは、人と人が出会い、触れ合うことがより尊く、深い。
そうするとやはり、傷ついてしまうこともあります。
けれど、人は人によってまた救われていくのですね。
舞台は佐賀、長崎、福岡。
ネタバレしそうなので、この辺でやめておきます。
2010年10月24日日曜日
映画「ハーブ&ドロシー」について
優れた芸術作品というものは、ただ鑑賞するだけでは味わえない、それを所有した時にはじめて味わえる別の感動がある。
なぜならば、作品を所有するという行為は、その作品に込められたアーティストの深い情熱や思想をも獲得したような感覚を所有者にもたらすからだ。
つまり、二人にとって作品を別の価値基準と引き換えに手放すという行為は、収集した作品によって形成された自らの心の一部を手放すのと同じことだと感じたからだ。
【上野で行われた先行上映後、監督・プロデューサーの佐々木芽生さんが登壇された。現在取り組まれているのは、「ハーブ&ドロシー」の二作目(次回作は短めとのこと)と、日本の捕鯨問題を題材にした作品とのこと。】
2010年10月11日月曜日
HAKATTANA へうげもの九州急襲 & 「ひと・もの作り唐津」プロジェクト
で、共催の所に
佐賀大学「ひと・もの作り唐津」プロジェクト
と。
で、そのサイトを見ていたら、
文部科学省 科学技術振興調整費 地域再生人材創出拠点の形成
戦略的発想能力を持った唐津焼産業人材養成
佐賀大学「ひと・もの作り唐津」プロジェクト
(2010年度の出願期間は先月終わっており、このプロジェクトの募集は今年度で最後のようです。)
とあり、外部講師には、グラフィックデザイナー、シェフ、建築家、ジャーナリスト、素材技術の専門家、写真家、ガラス工芸家などが名を連ねていました。
佐賀大学の美術・工芸科のカリキュラムだけじゃなく、こんな風に専門に特化した多彩な外部講師陣による多角的な視点から、産業振興のベースとなる人材を養成するっていいですね。
この講師陣一覧からは、伝統工芸の見せ方を改め、その価値をブランド化していく能力が産業振興に不可欠だということが伝わってきます。
文科省には今後もこういうプロジェクトを引き続き行って欲しいと思いますし、この流れを断ち切ることなく、県も産業振興のベースとなる人材養成に力を入れて欲しいと思います。
陶芸家 青木良太さん
青木さんは「週刊モーニング」(講談社)で連載中のマンガ『へうげもの』(山田芳裕)から生まれた若手陶芸家ユニット「へうげ十作」のリーダーとしても活動中とのこと。
「へうげもの」から若手陶芸家ユニットが誕生していたとは!
へうげもの、凄いなあ。
「僕、人間国宝になりたかったんすよー。」
と、軽い感じでユルく語る青木さん。
そんな調子で、ご本人が語られる陶芸の道に至る迄の経歴の説明も面白かった。
調べたところ、素敵な作品を作られているみたいです。
*青木良太(Official)
*若手陶芸家 青木良太の作品はなぜ美しいのか
*個展「青木良太展」
2010年10月29日(金)~11月2日(火)
11:00~19:00
*RYOTA AOKI JAPAN 情熱大陸 by tougeiotakuさん
2010年10月10日日曜日
2010年10月9日土曜日
運動2
(※応募者が多ければ抽選)
そうです。
2010年10月6日水曜日
運動1
使っているウェイトマシンはこちら。
サイベックスのウェイトマシン
以下、自分で自分に課したトレーニングメニュー。
*グルート
*チェストプレス
*ラテラルレイズ
*ロウ
*アブドミナル
*ヒップアダクション/アブダクション
*レッグエクステンション
を各10回ずつ3セット。
ウォーミングアップとして、20分間エアロバイクで有酸素運動を
やるので、それを入れると全部で一時間半くらいかかります。
つづく。
2010年10月5日火曜日
セミ
2010年10月3日日曜日
虚構の劇団「エゴ・サーチ」
2010年9月27日月曜日
Kindle
それは、この機械がiPhoneやiPadのような華やかさとは対照的な、地味でとことん静かな風情を醸し出していたからだ。
というわけで、これが今はまだアメリカのAmazonでしか売られていないという、噂の電子書籍リーダーKindleだということを、私は購入した本人に言われるまで全く気付かなかったのだ。
静と動でいうならば静。
派手か地味かというならば地味。
それは機械や道具というより、物という印象だった。
このKindleで、私は夏目漱石の「坊ちゃん」を読ませてもらった。
ページの下には、普通の本と同様に頁数が表示される。
それと同時に、全体の中でどれだけの割合を読んだのかも正確なパーセンテージで表示されるので、
あの本、どれくらい読んだ?
83%読んだよ。
なんて、物凄く正確な会話をしたりもできる。
因に、写真の画面に表示されているこの絵(この時はたまたまこんなカリグラフィーだった)は、Kindleを放置してしばらくすると出てくるスクリーンセーバー。
放置する毎に毎回違った絵が出てくるので、これを見るのも密かに楽しい。
今回Kindleを使わせてもらってから、私はiPhoneやiPadのあのキラキラした華やかなもので、本を読みたいとは思わなくなった。
私はパソコンやiPhoneの液晶画面を見ていると、自分の意思以外の何かに追われるような、情報を求め続けなければいけないような焦燥感にかられる時がある。
iPhoneに書籍をダウンロードした事はあるが、やはり前述の焦燥感がつきまとい、それは読み心地が悪かった。
読書をする時は、できれば自分のペースで、静かに読み進めていきたいと私は思う。
そんな私にとって、人に本を読んでもらう事だけを目的とするが故に、自分が機械であるという存在感すら消したようなこのKindleという道具は、とても愛しく思えた。
あ、結局また擬人化してしまった。^^;
2010年8月8日日曜日
2010年6月6日日曜日
2010年5月4日火曜日
GW2010
青空の下で手作りのお弁当を食べる。
ウグイスの鳴き声を聴く。
堅い皮に覆われた夏の柑橘類の甘酸っぱさを、美味しいと感じる。
あたたかいお茶をいただく。
朝起きて、空を仰ぎ、夜疲れて眠る。
ラジオから流れてくる静かな音楽に耳を傾ける。
強い太陽の日射しで汗ばみ、日焼けして肌が熱っぽくなる。
そういうことがこんなに心地良いということを私はすっかり忘れていて、まるで世 界を初めて見た子供のように、見るもの聴くもの全てに感動してしまいました。
細い細い路地を横切る時、ほんのもう一歩先にいても、もう一歩後ろにいても、絶対に見渡せない景色が見える瞬間があります。
それはほんの短い瞬間だけれど、その時、その場所に限っては、色んなものが一気に見えるようになる奇跡のようなひととき。
この4日間は私にとって、そんな奇跡の瞬間だったのかもしれません。
2010年4月19日月曜日
森村泰昌展・なにものかへのレクイエム −戦場の頂上の芸術−
で、森村泰昌展をみてきました。
たくさんの作品が展示されていましたが、その中でも3日たった今も忘れられないくらい印象に残っている彼の表情があります。
それは、最後の展示作品の中の彼の表情。
それはマリリン・モンローに扮した彼が浜辺で倒れている兵士を見つめる時の表情なのですが、なんというか、、、
憐れみ
絶望
愛情
悲しみ
せつなさ
などなど
とにかく様々な感情がいり混じった複雑な表情で、
とてつもなく美しいんです。
あの瞬間、彼は彼女だったのでしょうか。
今迄見たどんな女優さんの表情よりも奇麗だとさえ感じました。
そして私はその表情を見てようやく、彼の作品がセルフポートレートである由縁を少し理解できたような気がします。
彼の感性は本当に素晴らしく、そして更にそれを作品として表現できる術を持っている。
芸術ってこういう事なんだなあ、と、あらためて思いました。^^
2010年4月9日金曜日
「WEB人間論」の感想、、、というより、読後変えたこと。思ったこと。
それは、今迄ネット上では匿名で書いていたことを、実名に変えた事。
(※これは「WEB人間論」が実名公表を推奨しているというわけではなく、実験的にやってみたまで。自分の意識がどう変わるのかなあ、とふと思って。)
結果、ちょっとだけネット上で公表する文章を書く時の感覚が(あくまでも自分の中でだけですが)変わったと思いました。
それを具体的に伝えることができるならば、昔読んだ小説「たんぽぽのお酒」の、あの詩的なワンシーン。
この本はレイ・ブラッドベリの名作で、私自身中学生の頃読んだ小説なのでちょっとうろ覚えなのですが、私にはこの小説の中で最も印象的だったシーンがあります。
それは、主人公の少年が、今この瞬間に自分が生きているという事を、世界中の人に伝えたいと思うシーン。
私のイメージでは確か、主人公の少年が美しく輝く森の中を駆け抜けながら、
「今、僕が生きていると、世界中の人に伝えたい!」
と叫ぶ。(心の中で、だったかな?うろ覚えですみません。)
その感覚に近いものを、WEB人間論を読んで、実際に実名でネット上に書き込む事で感じました。
死と生は常に隣り合わせです。
それは今我が家にある小さなアクアリウムを毎日見ながら、私自身実感している事でもあります。
そしてまた、生と死に限らず、この世で対極にあると思われるものは、常に表裏一体です。
人が死を考える時、それは生を痛い程意識しているから。
人が愛し愛される喜びを感じるのは、拒絶し拒絶される悲しみを知っているから。
対極にある物を把握してこそ、人はその本質を理解し得るのかもしれません。
そんな意味で、
私は死んではいないのでしょう。
mizuta makikoは今、ちゃんとここに生きています。
それがちゃんと言える場所(WEB)があるということは、救われているという事なのかもしれません。
このエントリ、特にまとめはないです。^^;
(なにしろ、シャンパン一本を一人で空けて酔っぱらいながら書いたので。w)
2010年3月28日日曜日
2010年3月22日月曜日
祈り
帝釈天の中庭の木彫り@柴又 |
今から約10年前。
彼は、私が大学を卒業してすぐに、半年間だけ臨時職員として勤めていた職場の同僚でした。
同じ位の年頃で同じ課だったこともあり、その半年間は彼を含めみんなでよく食事に行っていました。
でも今思い出せるのは、他愛も無い会話だけ。
忘れたくないので、ここに少し書き記しておきたいと思います。
当時彼は「深窓の令嬢」を「「ふかまど」の令嬢」と言ってみて、相手が「それは「しんそう」だよ」と言ってくるかこないかで、相手の知識の深さを判断していると言っていました。で、私も彼に「ふかまど」チェックをされたのですが、私は何も言わなかったので、彼は最初私の知識は浅いと思ったと言っていました。でも私が後に「この人、読み間違ってるけど、間違ったままのほうが面白いからそのままにしておこう、と思って言わなかった。」と言ったら、そんな私を面白いと思ってくれたみたいで、それが彼と話しはじめた最初の話題だったように思います。
その後すぐに仲良くなり、彼がエレファントカシマシのラジオ番組にハガキを書くので協力してほしいと言ってきたので、私が「今人気の歌手は?1.エレファントカシマシ 2.エレファントトスシ 3.エレファントサガシ」と書いたら、噴出して笑ったりしていました。
彼が99年の夏にフジロックに一人で行った時、お土産にもらったケミカル・ブラザーズのTシャツは、ボロボロになるまで着たのでもう私の手元にはありません。
よく私が休憩していた打合室のホワイトボードの片隅に彼が描いたイラスト。
酒癖の悪い人との飲み会を心配して、久留米まで迎えにきてくれた事。
マービン・ゲイの曲を一緒に口ずさんだ事。
明るい性格で、聡明だった事。
めずらしい緑色の眼鏡をしていた事。
足が少し悪かった事。
私の横顔を褒めてくれた事。
雨の降る中で告白をしてくれた事。
その後、10年の間、彼に何があったのかはわかりません。
彼は先月、自宅で自ら命を絶ちました。
2010年3月7日日曜日
ハッピーロード大山商店街
ここは地域づくり表彰で「国土交通大臣賞」と「日本政策投資銀行総裁賞」を受賞した優良商店街らしいです。
確かに地方の寂れた商店街とは違い、寒さと雨で凍える今日のような日でも活気がありました。
(こんな雨の日だからこそアーケードで雨やどりもできるしね。)
この商店街のある駅の同じ沿線には大型ショッピングモールや池袋もあるので、地方と状況はほぼ同じです。
それなのにこれだけの活気があるのは、もちろん商店街の運営の仕方がうまいから。
でも果たして地方で同じことをやった時に、同じ位の集客が可能なのかというと、それはそもそも人口が違うから難しい。
地方には本当に人がいない。
地方では大型ショッピングモールですらどんどん潰れているようです。
そして働き口がなければ、地方からまた人がいなくなってしまう。
私も約一年実家の佐賀に帰っていませんが、お店や街並みの変わり様を見るのがいつも本当に怖いです。
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、、、書いていて、よく考えたら一年に一度のペースでしか帰らない私もどうかと思った。
2010年2月16日火曜日
2010年1月28日木曜日
放置してました
でもまだまだ自分の中で総括できてないのに、
ちょっと残酷なくらいの早さで環境が変わっている今日この頃です。
今自分が何をしようとしてるのか、そんなことすらわかってない。
わかってないのに、やらなきゃいけないことがたくさん。
問題の山の高さもわからず、山を登ってるのか降りてるのかすらわかりま
せん。
心が遭難中です。(> <)