2010年12月27日月曜日

NATURE


普段自分がいかに人工のものばかり見ているのか、思い知らされました。
動物、山、植物、海。
荘厳で圧倒的な説得力を持ったその姿から、
「勇気を出して、ありのままの自分でいようね。」
そんな声が聞こえてきました。

2010年12月23日木曜日

映画「悪人」について



先日、映画「悪人」を観てきました。
地方に住む者が感じる閉塞感や孤独感や絶望感。
それらの感覚が如実に表現された作品を、私は他にみたことがありません。
そんな世界に生きる者にとっての唯一の希望は、人との関係性だけ。
そこでは、人と人が出会い、触れ合うことがより尊く、深い。
そうするとやはり、傷ついてしまうこともあります。
けれど、人は人によってまた救われていくのですね。
舞台は佐賀、長崎、福岡。
ネタバレしそうなので、この辺でやめておきます。

2010年10月24日日曜日

映画「ハーブ&ドロシー」について



優れた芸術作品というものは、ただ鑑賞するだけでは味わえない、それを所有した時にはじめて味わえる別の感動がある。
なぜならば、作品を所有するという行為は、その作品に込められたアーティストの深い情熱や思想をも獲得したような感覚を所有者にもたらすからだ。

私は学生時代、ある作家から素晴らしい作品を譲ってもらった事がある。
それは手の込んだ作品で、見ていると自然と力が沸き上がってくるような作品だった。
私はその時、優れた作品を所有するということは、作者の崇高な精神世界が自分の中に入ってくるようなものだと感じた。
そしてまた、所有するということは、その作品を美術館などで鑑賞する時とは明らかに異なる感動を与えてくれるのだということも、その時はじめて知った。

さて先日、何の予備知識も事前情報もなく、あるアーティストとこの映画を観てきた。
映画はドキュメンタリーで、NYに住むハーブとドロシーという現代アートの有名なコレクターを取材したものだった。
二人が30年かけて集めた現代アートは、今や世界屈指のコレクションと言われ、ナショナルアートセンター他に寄贈されている。
30年間、現代アートの収集に情熱を注いできた二人。
二人にとって、アートは己の衣食住よりも価値があるものだった。

しかし、二人が収集した作品群をナショナルアートセンターに寄贈する迄、それらは狭いアパートに押し込まれ、一部のもの以外は鑑賞できる余地などなかった。
アーティストの証言によれば、多くの作品はベッドの下に積み上げられていたというし、実際に布で覆われたりもしていた。
それを見て思ったのは、二人は作品を「所有する」ということに重きを置いているのではないかということだ。
前述のとおり、作品を所有するということは、アーティストの崇高な精神世界をも心の中で獲得したような感動をもたらす。
二人の精神は、収集した作品を鑑賞することだけにとどまらず、所有することによってアーティスト独自の精神世界を共有した時、はじめて満たされたのだろう。

さて、この映画は、二人が作品を一切売らなかったことから、「お金にはかえられない生き方」という視点で述べられ、感動している人が多いようだ。
しかし、私はそういった感想は抱かなかった。
なぜならば、まずは前述のように、主人公は所有することで得られる新たな感動を知り、そこに重きをおいていると感じた為。
つまり、二人にとって作品を別の価値基準と引き換えに手放すという行為は、収集した作品によって形成された自らの心の一部を手放すのと同じことだと感じたからだ。
そして二つ目は、価値観は人によって随分異なるものだからだ。
つまり、人によってはそれがお金でも家族でも子供でも動物でも趣味でもアートでも、それを得ることでそれぞれが豊かに生きられるのであれば、その対象に優劣はないと思うからだ。
よって、自分の求める価値を知り、それを得て精神的に満たされるのならば、その対象がお金であってもアートであっても私はよいと思う。

最後に、この映画の中でも度々語られているように、一般的に芸術作品を買うという行為は敷居の高い行為であり、潤沢な資金が必要だと思われている。
よって、アートは一握りの層にのみ許される楽しみだと思い込んでいる人も多い。
そんな中、アートを身近なものと捉え、作家の有名無名問わず、きちんと対価をつけて取引をするハーブとドロシーのような態度は賞賛に値する。
この映画によって、芸術は一部の人間だけのものではなく、敷居のないより身近な所にあるということ、そしてまた、芸術やアーティストを理解しようとする行為が、日本でももっと認知されていくとよいと思う。

【上野で行われた先行上映後、監督・プロデューサーの佐々木芽生さんが登壇された。現在取り組まれているのは、「ハーブ&ドロシー」の二作目(次回作は短めとのこと)と、日本の捕鯨問題を題材にした作品とのこと。】

2010年10月11日月曜日

Croquette

20101011_32-2

揚げないコロッケを作りました。
色んな形。。。^^;

HAKATTANA へうげもの九州急襲 & 「ひと・もの作り唐津」プロジェクト

へうげ十作を調べていたら、今、【HAKATTANA へうげもの九州急襲】という展覧会が福岡の大名で開催されているそうな。

で、共催の所に

佐賀大学「ひと・もの作り唐津」プロジェクト 
   
と。
で、そのサイトを見ていたら、

文部科学省 科学技術振興調整費 地域再生人材創出拠点の形成
戦略的発想能力を持った唐津焼産業人材養成
佐賀大学「ひと・もの作り唐津」プロジェクト

(2010年度の出願期間は先月終わっており、このプロジェクトの募集は今年度で最後のようです。)

とあり、外部講師には、グラフィックデザイナー、シェフ、建築家、ジャーナリスト、素材技術の専門家、写真家、ガラス工芸家などが名を連ねていました。

佐賀大学の美術・工芸科のカリキュラムだけじゃなく、こんな風に専門に特化した多彩な外部講師陣による多角的な視点から、産業振興のベースとなる人材を養成するっていいですね。
この講師陣一覧からは、伝統工芸の見せ方を改め、その価値をブランド化していく能力が産業振興に不可欠だということが伝わってきます。
文科省には今後もこういうプロジェクトを引き続き行って欲しいと思いますし、この流れを断ち切ることなく、県も産業振興のベースとなる人材養成に力を入れて欲しいと思います。

陶芸家 青木良太さん

J-WAVEのGROWING REEDでたまたま聞いていた、陶芸家の青木良太さんのお話。

青木さんは「週刊モーニング」(講談社)で連載中のマンガ『へうげもの』(山田芳裕)から生まれた若手陶芸家ユニット「へうげ十作」のリーダーとしても活動中とのこと。

「へうげもの」から若手陶芸家ユニットが誕生していたとは!
へうげもの、凄いなあ。

「僕、人間国宝になりたかったんすよー。」
と、軽い感じでユルく語る青木さん。
そんな調子で、ご本人が語られる陶芸の道に至る迄の経歴の説明も面白かった。
調べたところ、素敵な作品を作られているみたいです。

青木良太(Official)

若手陶芸家 青木良太の作品はなぜ美しいのか

個展「青木良太展」
2010年10月29日(金)~11月2日(火)
11:00~19:00


RYOTA AOKI JAPAN 情熱大陸 by tougeiotakuさん


2010年10月9日土曜日

運動2

つづき。

さて、私がこれから三ヶ月間通うことになったのは、国立スポーツ科学センター(JISS)という所。
ここは、日本のトップアスリート達がトレーニングを行っている施設です。
ここでは三ヶ月単位で一般利用者50名の枠(有料)が設けてある為、応募※して利用許可がおりれば、私のような一般人も利用することができます。
(※応募者が多ければ抽選)

というわけで、そこにいるトップアスリートのみなさんの着ているもの、履いているもの、身につけているものにはたいてい
「Japan」
の文字が、、、。

そうです。
豚に真珠。
猫に小判。
無謀な私は、相当場違いな場所を人生初の運動場所として選択してしまったのです。

つづく。

2010年10月6日水曜日

運動1

この10月から、人生で初めて本格的に運動を始めました。
使っているウェイトマシンはこちら。

サイベックスのウェイトマシン

以下、自分で自分に課したトレーニングメニュー。

*グルート
*チェストプレス
*ラテラルレイズ
*ロウ
*アブドミナル
*ヒップアダクション/アブダクション
*レッグエクステンション

を各10回ずつ3セット。
ウォーミングアップとして、20分間エアロバイクで有酸素運動を
やるので、それを入れると全部で一時間半くらいかかります。

つづく

2010年10月5日火曜日

セミ

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この夏唯一の(?)職場でのホット(?)ニュース。
それは夏のはじめ頃。
夕暮れ時に出かけて行き、セミの幼虫を1,000匹くらい集めたという、外国人の方のお話。
その方によると、素揚げした直後がかなり美味しいらしい。
そう、それは「ー 食 ・ 用 ー」。
土から出て、たったの7日間を精一杯生き、死んでゆくセミたち。
それがまだ羽を広げる前に、穴から出して、、、塩水にIN!

、、、。

冷凍していたのを今度持ってきてくださるそうですが、、、
食べれるかなあ、、、。
うーん。
うううーーーむむむ。

2010年10月3日日曜日

虚構の劇団「エゴ・サーチ」 

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先日、鴻上尚史の「エゴ・サーチ」という舞台を観てきた。

高校時代、私は演劇部に所属しており、高校には行かずに演劇にかなりハマっていた。
しかし振り返ってよく考えてみると、当時私がハマっていたのは、演劇というよりもそこにいる人間達に対してだったのかもしれない。
何でも話せる仲間達、優しい先輩達、地元の劇団にいた情熱的で不良な大人達。
私はそこで生まれて初めて、自分が人との関わりの中で生かされているという事を確認できた。

今、演劇の世界から抜け出して、もう15年が経とうとしている。
そんな中、突然観る事になったこの「エゴ・サーチ」という演劇。
演出の鴻上尚史さんは、当時田舎の高校生だった私達の憧れの存在だった。
そして会場にはまさにその鴻上尚史さんがいて、なんと観劇中もかなり近くの席に座っていた。
演劇はとても面白かった。
しかし私は、何よりも鴻上尚史さんのその真剣な眼差しの方に感動していた。
なぜならば彼もまた、当時高校生だった私の周りにいた演劇人達と同じ表情をしているように思えたからだ。
あの真剣で情熱的な眼差しは、演劇人ならではのものだ。
久し振りに観劇できて、本当に良かった。
あの表情をもう一度見れて、本当に良かった。
あの表情を見た瞬間、私はあの頃のように、人との関わりの中で自分が生かされている事を確認できた気がした。

2010年9月27日月曜日

Kindle

Kindle, originally uploaded by mizutaman55.
机の上に無造作に置かれたこの機械を見た時、それが何なのか、私は全く気に留めなかった事を憶えている。
それは、この機械がiPhoneやiPadのような華やかさとは対照的な、地味でとことん静かな風情を醸し出していたからだ。
というわけで、これが今はまだアメリカのAmazonでしか売られていないという、噂の電子書籍リーダーKindleだということを、私は購入した本人に言われるまで全く気付かなかったのだ。

静と動でいうならば静。
派手か地味かというならば地味。
それは機械や道具というより、物という印象だった。

このKindleで、私は夏目漱石の「坊ちゃん」を読ませてもらった。
ページの下には、普通の本と同様に頁数が表示される。
それと同時に、全体の中でどれだけの割合を読んだのかも正確なパーセンテージで表示されるので、
あの本、どれくらい読んだ?
83%読んだよ。
なんて、物凄く正確な会話をしたりもできる。
因に、写真の画面に表示されているこの絵(この時はたまたまこんなカリグラフィーだった)は、Kindleを放置してしばらくすると出てくるスクリーンセーバー。
放置する毎に毎回違った絵が出てくるので、これを見るのも密かに楽しい。

今回Kindleを使わせてもらってから、私はiPhoneやiPadのあのキラキラした華やかなもので、本を読みたいとは思わなくなった。
私はパソコンやiPhoneの液晶画面を見ていると、自分の意思以外の何かに追われるような、情報を求め続けなければいけないような焦燥感にかられる時がある。
iPhoneに書籍をダウンロードした事はあるが、やはり前述の焦燥感がつきまとい、それは読み心地が悪かった。

読書をする時は、できれば自分のペースで、静かに読み進めていきたいと私は思う。
そんな私にとって、人に本を読んでもらう事だけを目的とするが故に、自分が機械であるという存在感すら消したようなこのKindleという道具は、とても愛しく思えた。
あ、結局また擬人化してしまった。^^;

2010年8月8日日曜日

Hand Made

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少し前の『暮らしの手帖』にリボンで作るブレスレットの作り方が載っていたので、私も作ってみました。

パーツはなんとなく自然界の物にしたくなったので、貝ボタンと天然石のアベンチュリン、アメジスト、レッドメノウにしました。

(因に『暮らしの手帖』では可愛らしいビーズのパーツっぽいものが使われています。)

で、留め金は簡単に着脱できるようアンティークブロンズのホックを取り付けました。

でもやはり手芸下手な私が作っただけあって、完成度がかなり低い、、、。^^;涙

2010年5月4日火曜日

GW2010

時間を気にせず、ゆっくりと歩きながら景色を見て回る。

青空の下で手作りのお弁当を食べる。

ウグイスの鳴き声を聴く。

堅い皮に覆われた夏の柑橘類の甘酸っぱさを、美味しいと感じる。

あたたかいお茶をいただく。

朝起きて、空を仰ぎ、夜疲れて眠る。

ラジオから流れてくる静かな音楽に耳を傾ける。

強い太陽の日射しで汗ばみ、日焼けして肌が熱っぽくなる。

そういうことがこんなに心地良いということを私はすっかり忘れていて、まるで世 界を初めて見た子供のように、見るもの聴くもの全てに感動してしまいました。

細い細い路地を横切る時、ほんのもう一歩先にいても、もう一歩後ろにいても、絶対に見渡せない景色が見える瞬間があります。

それはほんの短い瞬間だけれど、その時、その場所に限っては、色んなものが一気に見えるようになる奇跡のようなひととき。

この4日間は私にとって、そんな奇跡の瞬間だったのかもしれません。

2010年4月19日月曜日

森村泰昌展・なにものかへのレクイエム −戦場の頂上の芸術−

先日、初めて東京都写真美術館に行ってきました。

で、森村泰昌展をみてきました。

たくさんの作品が展示されていましたが、その中でも3日たった今も忘れられないくらい印象に残っている彼の表情があります。

それは、最後の展示作品の中の彼の表情。

それはマリリン・モンローに扮した彼が浜辺で倒れている兵士を見つめる時の表情なのですが、なんというか、、、

憐れみ

絶望

愛情

悲しみ

せつなさ

などなど

とにかく様々な感情がいり混じった複雑な表情で、

とてつもなく美しいんです。

あの瞬間、彼は彼女だったのでしょうか。

今迄見たどんな女優さんの表情よりも奇麗だとさえ感じました。

そして私はその表情を見てようやく、彼の作品がセルフポートレートである由縁を少し理解できたような気がします。

彼の感性は本当に素晴らしく、そして更にそれを作品として表現できる術を持っている。

芸術ってこういう事なんだなあ、と、あらためて思いました。^^

2010年4月9日金曜日

「WEB人間論」の感想、、、というより、読後変えたこと。思ったこと。

少し前に、満員電車に揺られながら、「WEB人間論」を読みました。 読後、色々と考える事はあったのですが、その中でも自分の中で変化した事について。

それは、今迄ネット上では匿名で書いていたことを、実名に変えた事。

(※これは「WEB人間論」が実名公表を推奨しているというわけではなく、実験的にやってみたまで。自分の意識がどう変わるのかなあ、とふと思って。)

結果、ちょっとだけネット上で公表する文章を書く時の感覚が(あくまでも自分の中でだけですが)変わったと思いました。

それを具体的に伝えることができるならば、昔読んだ小説「たんぽぽのお酒」の、あの詩的なワンシーン。

この本はレイ・ブラッドベリの名作で、私自身中学生の頃読んだ小説なのでちょっとうろ覚えなのですが、私にはこの小説の中で最も印象的だったシーンがあります。

それは、主人公の少年が、今この瞬間に自分が生きているという事を、世界中の人に伝えたいと思うシーン。

私のイメージでは確か、主人公の少年が美しく輝く森の中を駆け抜けながら、

「今、僕が生きていると、世界中の人に伝えたい!」

と叫ぶ。(心の中で、だったかな?うろ覚えですみません。)

その感覚に近いものを、WEB人間論を読んで、実際に実名でネット上に書き込む事で感じました。

死と生は常に隣り合わせです。

それは今我が家にある小さなアクアリウムを毎日見ながら、私自身実感している事でもあります。

そしてまた、生と死に限らず、この世で対極にあると思われるものは、常に表裏一体です。

人が死を考える時、それは生を痛い程意識しているから。

人が愛し愛される喜びを感じるのは、拒絶し拒絶される悲しみを知っているから。

対極にある物を把握してこそ、人はその本質を理解し得るのかもしれません。

そんな意味で、

私は死んではいないのでしょう。

mizuta makikoは今、ちゃんとここに生きています。

それがちゃんと言える場所(WEB)があるということは、救われているという事なのかもしれません。

このエントリ、特にまとめはないです。^^;

(なにしろ、シャンパン一本を一人で空けて酔っぱらいながら書いたので。w)

2010年3月22日月曜日

祈り

帝釈天の中庭の木彫り@柴又
突然の訃報を受け、どうしたらよいかわからないので、ここで祈りを捧げることにします。
今から約10年前。
彼は、私が大学を卒業してすぐに、半年間だけ臨時職員として勤めていた職場の同僚でした。
同じ位の年頃で同じ課だったこともあり、その半年間は彼を含めみんなでよく食事に行っていました。
でも今思い出せるのは、他愛も無い会話だけ。
忘れたくないので、ここに少し書き記しておきたいと思います。
当時彼は「深窓の令嬢」を「「ふかまど」の令嬢」と言ってみて、相手が「それは「しんそう」だよ」と言ってくるかこないかで、相手の知識の深さを判断していると言っていました。で、私も彼に「ふかまど」チェックをされたのですが、私は何も言わなかったので、彼は最初私の知識は浅いと思ったと言っていました。でも私が後に「この人、読み間違ってるけど、間違ったままのほうが面白いからそのままにしておこう、と思って言わなかった。」と言ったら、そんな私を面白いと思ってくれたみたいで、それが彼と話しはじめた最初の話題だったように思います。
その後すぐに仲良くなり、彼がエレファントカシマシのラジオ番組にハガキを書くので協力してほしいと言ってきたので、私が「今人気の歌手は?1.エレファントカシマシ 2.エレファントトスシ 3.エレファントサガシ」と書いたら、噴出して笑ったりしていました。
彼が99年の夏にフジロックに一人で行った時、お土産にもらったケミカル・ブラザーズのTシャツは、ボロボロになるまで着たのでもう私の手元にはありません。
よく私が休憩していた打合室のホワイトボードの片隅に彼が描いたイラスト。
酒癖の悪い人との飲み会を心配して、久留米まで迎えにきてくれた事。
マービン・ゲイの曲を一緒に口ずさんだ事。
明るい性格で、聡明だった事。
めずらしい緑色の眼鏡をしていた事。
足が少し悪かった事。
私の横顔を褒めてくれた事。
雨の降る中で告白をしてくれた事。
その後、10年の間、彼に何があったのかはわかりません。
彼は先月、自宅で自ら命を絶ちました。

2010年3月7日日曜日

ハッピーロード大山商店街

今日はハッピーロード大山商店街へ行ってきました。
ここは地域づくり表彰で「国土交通大臣賞」と「日本政策投資銀行総裁賞」を受賞した優良商店街らしいです。
確かに地方の寂れた商店街とは違い、寒さと雨で凍える今日のような日でも活気がありました。
(こんな雨の日だからこそアーケードで雨やどりもできるしね。)
この商店街のある駅の同じ沿線には大型ショッピングモールや池袋もあるので、地方と状況はほぼ同じです。
それなのにこれだけの活気があるのは、もちろん商店街の運営の仕方がうまいから。
でも果たして地方で同じことをやった時に、同じ位の集客が可能なのかというと、それはそもそも人口が違うから難しい。

地方には本当に人がいない。

地方では大型ショッピングモールですらどんどん潰れているようです。
そして働き口がなければ、地方からまた人がいなくなってしまう。
私も約一年実家の佐賀に帰っていませんが、お店や街並みの変わり様を見るのがいつも本当に怖いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
、、、書いていて、よく考えたら一年に一度のペースでしか帰らない私もどうかと思った。

2010年1月28日木曜日

放置してました

私事が色々ありまして、
でもまだまだ自分の中で総括できてないのに、
ちょっと残酷なくらいの早さで環境が変わっている今日この頃です。
今自分が何をしようとしてるのか、そんなことすらわかってない。
わかってないのに、やらなきゃいけないことがたくさん。
問題の山の高さもわからず、山を登ってるのか降りてるのかすらわかりま
せん。
心が遭難中です。(> <)