2010年4月19日月曜日

森村泰昌展・なにものかへのレクイエム −戦場の頂上の芸術−

先日、初めて東京都写真美術館に行ってきました。

で、森村泰昌展をみてきました。

たくさんの作品が展示されていましたが、その中でも3日たった今も忘れられないくらい印象に残っている彼の表情があります。

それは、最後の展示作品の中の彼の表情。

それはマリリン・モンローに扮した彼が浜辺で倒れている兵士を見つめる時の表情なのですが、なんというか、、、

憐れみ

絶望

愛情

悲しみ

せつなさ

などなど

とにかく様々な感情がいり混じった複雑な表情で、

とてつもなく美しいんです。

あの瞬間、彼は彼女だったのでしょうか。

今迄見たどんな女優さんの表情よりも奇麗だとさえ感じました。

そして私はその表情を見てようやく、彼の作品がセルフポートレートである由縁を少し理解できたような気がします。

彼の感性は本当に素晴らしく、そして更にそれを作品として表現できる術を持っている。

芸術ってこういう事なんだなあ、と、あらためて思いました。^^

2010年4月9日金曜日

「WEB人間論」の感想、、、というより、読後変えたこと。思ったこと。

少し前に、満員電車に揺られながら、「WEB人間論」を読みました。 読後、色々と考える事はあったのですが、その中でも自分の中で変化した事について。

それは、今迄ネット上では匿名で書いていたことを、実名に変えた事。

(※これは「WEB人間論」が実名公表を推奨しているというわけではなく、実験的にやってみたまで。自分の意識がどう変わるのかなあ、とふと思って。)

結果、ちょっとだけネット上で公表する文章を書く時の感覚が(あくまでも自分の中でだけですが)変わったと思いました。

それを具体的に伝えることができるならば、昔読んだ小説「たんぽぽのお酒」の、あの詩的なワンシーン。

この本はレイ・ブラッドベリの名作で、私自身中学生の頃読んだ小説なのでちょっとうろ覚えなのですが、私にはこの小説の中で最も印象的だったシーンがあります。

それは、主人公の少年が、今この瞬間に自分が生きているという事を、世界中の人に伝えたいと思うシーン。

私のイメージでは確か、主人公の少年が美しく輝く森の中を駆け抜けながら、

「今、僕が生きていると、世界中の人に伝えたい!」

と叫ぶ。(心の中で、だったかな?うろ覚えですみません。)

その感覚に近いものを、WEB人間論を読んで、実際に実名でネット上に書き込む事で感じました。

死と生は常に隣り合わせです。

それは今我が家にある小さなアクアリウムを毎日見ながら、私自身実感している事でもあります。

そしてまた、生と死に限らず、この世で対極にあると思われるものは、常に表裏一体です。

人が死を考える時、それは生を痛い程意識しているから。

人が愛し愛される喜びを感じるのは、拒絶し拒絶される悲しみを知っているから。

対極にある物を把握してこそ、人はその本質を理解し得るのかもしれません。

そんな意味で、

私は死んではいないのでしょう。

mizuta makikoは今、ちゃんとここに生きています。

それがちゃんと言える場所(WEB)があるということは、救われているという事なのかもしれません。

このエントリ、特にまとめはないです。^^;

(なにしろ、シャンパン一本を一人で空けて酔っぱらいながら書いたので。w)