2011年3月27日日曜日

2 weeks later

3月11日の震災から、二週間が経ちました。
この二週間は、物凄い早さで
地震
津波
原発
余震
停電
放射能汚染
などなど...
毎日膨大な情報が流れては、新しい情報に書き替えられ、消えていきました。

ちょうど一年前になりますが、私は図書館でメディアリテラシーの本を何冊か借りて読んでいました。
その時は、
そこまで教育されなくとも、現代人は情報を取捨選択する能力くらい備わっている気がするけど、、、
と、軽く思っていました。
私は現代人の能力を過信していたのです。

でも、そうじゃなかった。

あの瞬間以降に流れた膨大な情報は、私たちをあっという間にのみ込んでしまいました。
日ごろからTVを見ていた人は、何度も流れる恐ろしい映像と呪文の様に繰り返されるCMに絶望したり辟易したりして体調を崩し、また、ネット上では陰と陽の対極の情報が流れ、その狭間で苦しんでいる人もいました。
そして、それぞれの置かれた状況や立場や国の違いにより、相反する情報を発信する人々が多数登場した事で、日ごろから集団で同じ思考を共有しようとする人々は、パニックに陥ってしまったりもしました。

その情報がどれだけ正確なのか。
その情報源がどういう意図でその情報を発信しているのか。
反原発の学者とそうでない学者が発する情報はどちらも偏りがあるように、
どんな情報でも何らかの偏りがあると踏まえた上で、その情報を見極めているか。
そして、それらの膨大な情報の中から、素早く正確にそれを選択できているか。

あの日の直後の混乱の中、人々はできる限り情報の渦にのまれないよう、自分と被災者の為に、必要な情報を高台から必死で見つけようとしていました。
あの日を境に、特に東日本の人たちは、TV、新聞、ラジオ、ネットなどのメディアとの関わり方、情報の取り扱い方が変わったように思います。

まだまだ余震が続き、原発も予断を許さない現状の今だからこそできること。
水や農産物の汚染・動物の被曝に関する深刻な情報が今後更に出てくる中で、情報による被害を最小限に抑えられるか否かは、今、この瞬間の私たちのメディアリテラシーにかかっているのではないでしょうか。

私たち一人一人が情報の受け取り方、発信の仕方を考える事によって、それが被災者の支援、被災地の復興、そして日本の再建につながっていくことを願っています。
そして何よりも、肉親を失い、生まれ育った故郷を失い、身を引き裂かれる思いを抱いている人々がこれから先受け取る情報が、より正確であたたかい情報である事を祈っています。

(と、今夜はマッコリ一本を飲み干しつつ、酔っぱらって書いているので、ちょっぴり感情的になっているかもですが。。。)