2011年8月13日土曜日

熊本と宮崎


運転免許を取って、二度目の運転。
今回は宮崎から熊本の山道を運転しました。

一度目は広島と愛媛の県境を走ったので、
一部では県境ドライバーと呼ばれています。笑

2011年6月25日土曜日

My Food Plants



柚子
Japanese citron(Yuzu)




クイーンオブシババジル
& ラベンダー(アラビアンナイト)
Basil "Queen of sheva" 
& Lavender (Arabian nights)




オレガノ
Oregano





グレープフルーツミント & タイム
Grape fruit mint & Time





大葉 & (イタリアンパセリ)
Green perilla & (Italian parsley)



2011年6月21日火曜日

丸亀美術館「杉本博司 アートの起源」

IMGP0033

香川県の丸亀市にある、丸亀美術館「杉本博司 アートの起源」に行ってきました。
現在この丸亀美術館では、杉本博司さんの作品をテーマごとに分けてそれぞれ会期を区切り、2010年から一年かけて順次展示しています。
そのテーマは、
科学
建築
歴史
宗教
の4つで、今回私は歴史の展示を見ることができました。
残念ながら私には撮影の技術等はあまりよくわかりませんでしたが、見終わってみると、数年前ならば「未来」といわれていた世界の中で今私たちは生きているのだ...と、あらためて気付かされました。


数秒で料理ができる電子機器を使う。
安全が保証されていない添加物入りの食品を作り出し、それらを好んで口にする。
遺伝子組み換え作物を栽培する。
携帯端末を持つ。
メディアの報道や広告に簡単に洗脳される。
人類の繁殖を阻むようなウイルスが出現する。
放射能に脅える。


技術力の向上と反比例して、人類の滅亡を暗示しているかのように起こっている数々の事象。
どんな技術でも、それは長い目で見て、はたして本当に必要なものなのだろうか。
実は、巨大技術によって得るものと失われるものの量は同じで、差引ゼロなのではないだろうか。
そんな焦燥感にかられる展覧会でした。



2011年6月15日水曜日

記憶の保存

父が蛍を見に、母と私をある場所に連れていってくれた。

そこは、メディアに決して漏らしてはならないという、地元の暗黙の掟で守られている秘密の場所だった。

初夏の夜に吹く涼しい風。
河を勢いよく流れる水の音。
揺らめくたくさんの幻想的な光。
秘密をこっそり教えてくれた父の、静かだけど活き活きとした声。
空気や温度や湿度も大切に切り取って、心の中にしまっておこう。

2011年3月27日日曜日

2 weeks later

3月11日の震災から、二週間が経ちました。
この二週間は、物凄い早さで
地震
津波
原発
余震
停電
放射能汚染
などなど...
毎日膨大な情報が流れては、新しい情報に書き替えられ、消えていきました。

ちょうど一年前になりますが、私は図書館でメディアリテラシーの本を何冊か借りて読んでいました。
その時は、
そこまで教育されなくとも、現代人は情報を取捨選択する能力くらい備わっている気がするけど、、、
と、軽く思っていました。
私は現代人の能力を過信していたのです。

でも、そうじゃなかった。

あの瞬間以降に流れた膨大な情報は、私たちをあっという間にのみ込んでしまいました。
日ごろからTVを見ていた人は、何度も流れる恐ろしい映像と呪文の様に繰り返されるCMに絶望したり辟易したりして体調を崩し、また、ネット上では陰と陽の対極の情報が流れ、その狭間で苦しんでいる人もいました。
そして、それぞれの置かれた状況や立場や国の違いにより、相反する情報を発信する人々が多数登場した事で、日ごろから集団で同じ思考を共有しようとする人々は、パニックに陥ってしまったりもしました。

その情報がどれだけ正確なのか。
その情報源がどういう意図でその情報を発信しているのか。
反原発の学者とそうでない学者が発する情報はどちらも偏りがあるように、
どんな情報でも何らかの偏りがあると踏まえた上で、その情報を見極めているか。
そして、それらの膨大な情報の中から、素早く正確にそれを選択できているか。

あの日の直後の混乱の中、人々はできる限り情報の渦にのまれないよう、自分と被災者の為に、必要な情報を高台から必死で見つけようとしていました。
あの日を境に、特に東日本の人たちは、TV、新聞、ラジオ、ネットなどのメディアとの関わり方、情報の取り扱い方が変わったように思います。

まだまだ余震が続き、原発も予断を許さない現状の今だからこそできること。
水や農産物の汚染・動物の被曝に関する深刻な情報が今後更に出てくる中で、情報による被害を最小限に抑えられるか否かは、今、この瞬間の私たちのメディアリテラシーにかかっているのではないでしょうか。

私たち一人一人が情報の受け取り方、発信の仕方を考える事によって、それが被災者の支援、被災地の復興、そして日本の再建につながっていくことを願っています。
そして何よりも、肉親を失い、生まれ育った故郷を失い、身を引き裂かれる思いを抱いている人々がこれから先受け取る情報が、より正確であたたかい情報である事を祈っています。

(と、今夜はマッコリ一本を飲み干しつつ、酔っぱらって書いているので、ちょっぴり感情的になっているかもですが。。。)

2011年2月28日月曜日

高嶺格「とおくてよくみえない」の感想

同じ情報や物や人を見ている私たちは、同じ方向を向き、同じ思考を持つようになってしまっている。
誰かが右だと言えば右。
左だと言えば左。
誰かがそれを美しいと言えば、それを美しいと思うようになり、
誰かがその国や人を批判すれば、同じように、またはそれ以上に批判する。
みんながそれを見ていると知れば、自分もそれを見ずにはいられない。
特にネットの中の世界では、そうした事が日々繰り返されている。
そしてその積み重ねの末、恐ろしいことに、ついにはそれがおかしいということすら疑わなくなってしまう。

しかし、そこに一人の現代美術家によって鳴らされるアラームは、私たちの頭の片隅で眠っている真実を見事に呼び起こしてくれる。
自分の価値観は、どこの誰かもわからない、多くの人から生成された共通の価値観の一部にすぎないということを。

この展覧会は本当に素晴らしかった。
高嶺格という現代美術家のフィルターを通して自分をメタ認知し、自分の思考自体が滑稽だったとわかったあの瞬間。
その時、私の心は打ち砕かれ、ようやく自由を手にしたような気持ちになったのです。

2011年1月2日日曜日

I wish you a happy new year 2011



あけましておめでとうございます。
この2010は、生まれて初めて風邪を一度もひかず、元気に過ごすことができた一年でした。
さて、この動画は、31日に2010年最後の日の入を見に行った時に撮ったものです。
この夕日をじっと見ていると、2010年が終わっていくんだ、、、!と心から実感することができました。
そして今はそう実感できたことによって、新たな2011年をまっさらな気持ちで迎えることができている気がします。
ユダヤのシャバットのように、活動の終わりを感じる儀式の後、休息し、新たな気持ちで活動をはじめるって大事な事なんですね。
みなさんにとって、素敵な一年になりますようお祈りしています。
今年もよろしくお願いいたします。