2010年10月24日日曜日

映画「ハーブ&ドロシー」について



優れた芸術作品というものは、ただ鑑賞するだけでは味わえない、それを所有した時にはじめて味わえる別の感動がある。
なぜならば、作品を所有するという行為は、その作品に込められたアーティストの深い情熱や思想をも獲得したような感覚を所有者にもたらすからだ。

私は学生時代、ある作家から素晴らしい作品を譲ってもらった事がある。
それは手の込んだ作品で、見ていると自然と力が沸き上がってくるような作品だった。
私はその時、優れた作品を所有するということは、作者の崇高な精神世界が自分の中に入ってくるようなものだと感じた。
そしてまた、所有するということは、その作品を美術館などで鑑賞する時とは明らかに異なる感動を与えてくれるのだということも、その時はじめて知った。

さて先日、何の予備知識も事前情報もなく、あるアーティストとこの映画を観てきた。
映画はドキュメンタリーで、NYに住むハーブとドロシーという現代アートの有名なコレクターを取材したものだった。
二人が30年かけて集めた現代アートは、今や世界屈指のコレクションと言われ、ナショナルアートセンター他に寄贈されている。
30年間、現代アートの収集に情熱を注いできた二人。
二人にとって、アートは己の衣食住よりも価値があるものだった。

しかし、二人が収集した作品群をナショナルアートセンターに寄贈する迄、それらは狭いアパートに押し込まれ、一部のもの以外は鑑賞できる余地などなかった。
アーティストの証言によれば、多くの作品はベッドの下に積み上げられていたというし、実際に布で覆われたりもしていた。
それを見て思ったのは、二人は作品を「所有する」ということに重きを置いているのではないかということだ。
前述のとおり、作品を所有するということは、アーティストの崇高な精神世界をも心の中で獲得したような感動をもたらす。
二人の精神は、収集した作品を鑑賞することだけにとどまらず、所有することによってアーティスト独自の精神世界を共有した時、はじめて満たされたのだろう。

さて、この映画は、二人が作品を一切売らなかったことから、「お金にはかえられない生き方」という視点で述べられ、感動している人が多いようだ。
しかし、私はそういった感想は抱かなかった。
なぜならば、まずは前述のように、主人公は所有することで得られる新たな感動を知り、そこに重きをおいていると感じた為。
つまり、二人にとって作品を別の価値基準と引き換えに手放すという行為は、収集した作品によって形成された自らの心の一部を手放すのと同じことだと感じたからだ。
そして二つ目は、価値観は人によって随分異なるものだからだ。
つまり、人によってはそれがお金でも家族でも子供でも動物でも趣味でもアートでも、それを得ることでそれぞれが豊かに生きられるのであれば、その対象に優劣はないと思うからだ。
よって、自分の求める価値を知り、それを得て精神的に満たされるのならば、その対象がお金であってもアートであっても私はよいと思う。

最後に、この映画の中でも度々語られているように、一般的に芸術作品を買うという行為は敷居の高い行為であり、潤沢な資金が必要だと思われている。
よって、アートは一握りの層にのみ許される楽しみだと思い込んでいる人も多い。
そんな中、アートを身近なものと捉え、作家の有名無名問わず、きちんと対価をつけて取引をするハーブとドロシーのような態度は賞賛に値する。
この映画によって、芸術は一部の人間だけのものではなく、敷居のないより身近な所にあるということ、そしてまた、芸術やアーティストを理解しようとする行為が、日本でももっと認知されていくとよいと思う。

【上野で行われた先行上映後、監督・プロデューサーの佐々木芽生さんが登壇された。現在取り組まれているのは、「ハーブ&ドロシー」の二作目(次回作は短めとのこと)と、日本の捕鯨問題を題材にした作品とのこと。】

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