2010年3月22日月曜日

祈り

帝釈天の中庭の木彫り@柴又
突然の訃報を受け、どうしたらよいかわからないので、ここで祈りを捧げることにします。
今から約10年前。
彼は、私が大学を卒業してすぐに、半年間だけ臨時職員として勤めていた職場の同僚でした。
同じ位の年頃で同じ課だったこともあり、その半年間は彼を含めみんなでよく食事に行っていました。
でも今思い出せるのは、他愛も無い会話だけ。
忘れたくないので、ここに少し書き記しておきたいと思います。
当時彼は「深窓の令嬢」を「「ふかまど」の令嬢」と言ってみて、相手が「それは「しんそう」だよ」と言ってくるかこないかで、相手の知識の深さを判断していると言っていました。で、私も彼に「ふかまど」チェックをされたのですが、私は何も言わなかったので、彼は最初私の知識は浅いと思ったと言っていました。でも私が後に「この人、読み間違ってるけど、間違ったままのほうが面白いからそのままにしておこう、と思って言わなかった。」と言ったら、そんな私を面白いと思ってくれたみたいで、それが彼と話しはじめた最初の話題だったように思います。
その後すぐに仲良くなり、彼がエレファントカシマシのラジオ番組にハガキを書くので協力してほしいと言ってきたので、私が「今人気の歌手は?1.エレファントカシマシ 2.エレファントトスシ 3.エレファントサガシ」と書いたら、噴出して笑ったりしていました。
彼が99年の夏にフジロックに一人で行った時、お土産にもらったケミカル・ブラザーズのTシャツは、ボロボロになるまで着たのでもう私の手元にはありません。
よく私が休憩していた打合室のホワイトボードの片隅に彼が描いたイラスト。
酒癖の悪い人との飲み会を心配して、久留米まで迎えにきてくれた事。
マービン・ゲイの曲を一緒に口ずさんだ事。
明るい性格で、聡明だった事。
めずらしい緑色の眼鏡をしていた事。
足が少し悪かった事。
私の横顔を褒めてくれた事。
雨の降る中で告白をしてくれた事。
その後、10年の間、彼に何があったのかはわかりません。
彼は先月、自宅で自ら命を絶ちました。

2010年3月7日日曜日

ハッピーロード大山商店街

今日はハッピーロード大山商店街へ行ってきました。
ここは地域づくり表彰で「国土交通大臣賞」と「日本政策投資銀行総裁賞」を受賞した優良商店街らしいです。
確かに地方の寂れた商店街とは違い、寒さと雨で凍える今日のような日でも活気がありました。
(こんな雨の日だからこそアーケードで雨やどりもできるしね。)
この商店街のある駅の同じ沿線には大型ショッピングモールや池袋もあるので、地方と状況はほぼ同じです。
それなのにこれだけの活気があるのは、もちろん商店街の運営の仕方がうまいから。
でも果たして地方で同じことをやった時に、同じ位の集客が可能なのかというと、それはそもそも人口が違うから難しい。

地方には本当に人がいない。

地方では大型ショッピングモールですらどんどん潰れているようです。
そして働き口がなければ、地方からまた人がいなくなってしまう。
私も約一年実家の佐賀に帰っていませんが、お店や街並みの変わり様を見るのがいつも本当に怖いです。

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、、、書いていて、よく考えたら一年に一度のペースでしか帰らない私もどうかと思った。